●20歳になった時、社会を知っていましたか?
小学校から高校まで公立学校で教育を受けてきました。18歳になる頃には、微分積分は理解できました、世界史の知識も多少ありました。漢文や古典も少しは読めました。英語は嫌いでしたが、日常会話程度はなんとなく理解できました。科学の元素記号くらいは暗唱できました。真面目な生徒ではありませんでしたが、高等教育まで受ければ、学問における知識はある程度身につきます。
しかし、社会に出て生活を送るために必要なことは違います。今でも色々と知らないことは多いのですが、成人と言われる20歳になったとき、社会に必要なことをあまり知らなかったと痛切に感じます。
例えば、大変恥ずかしい話ですが、年金と言う概念があったのは承知していましたが、国民年金制度の詳細について知りませんでした。何をどのように払うのか、どのような手続きが必要なのか、将来に渡って自分自身の為になるものなのか、さっぱりわかりませんでした。20歳を過ぎて、親から「国民年金の支払い通知が来ているよ」と初めて言われた時には理解不能だったのを覚えています。国民年金の納付率が低いのは制度に対する理解不足も大きく影響していると思います。
買い物もそうです。私は19歳の時に海外に行く際にクレジットカードを初めて作りました。旅行カウンターにいた方に進められたからです。しかし、今までクレジットカードを使用したことがない子供が、親の承認があるにせよ、カードを持つことは大変危険だと、今は感じます。現在、100万人以上の国民が多重債務に苦しめられていますが、お金の使い方をしっかりと教えていれば、もっと数は減っていたのではないかと思います。
障害者を含めた社会的弱者と言われる人々に対する理解も私にはほとんどありませんでした。近くに障害者施設があったので、多少は身近な存在ではありましたが、やはり越えられない一線がありました。議員になり様々な障害福祉施設を回り、また自発的にボランティア講習等を受けるようになって、障害者という区分け自体が相対的で、自分自身も一種の障害者であるということを理解できました。学校教育において、障害をもっと理解する機会があれば、多少インフラ整備が追いつかなくても、障害者が自立していける社会を推進することは可能だと思います。私ももっと色々な人に気軽に声をかけられたと思います。
地方自治も同じです。社会人のどれだけの人が、自分達の自治体のこと議会のことを知っているでしょうか。恐らく、議会の最も基本的なイロハすら知らない人が多いと思います。投票率や意識が低いとよく言われますが、民主主義の基本となる教育を受けていないのですから、ある意味仕方のない側面もあります。
言いだせばきりがありません、、、
●日本の教育に欠けているもの
日本の教育に大きく欠けていると私が考えるのは、道徳心・愛国心の涵養、歴史教育及び社会生活に必要な事項の教育です。今回は後者についてです。
日本の教育制度の中には、社会に出てから必要なことを教える機会が圧倒的に不足しています。特に、日本は社会保障制度も含めて大変複雑ですから、早いうちから教えておかないと、各国民が大きな損失を被るだけではなく、社会的にも再教育しなければならず、大きな損失となっています。
私が、スェーデン中学教科書をご紹介したのは、子供達が社会に出てから必要なことをほとんど網羅した体系的な内容となっていることと、それらを分かりやすく伝えていたからです。
私自身、このような問題意識をずっと持っていたので、議会でも早い段階からの社会教育を推進するように事あるごとに取り上げてきました。
●シチズンシップ教育
神奈川県では、シチズンシップ教育という名称で前述のような取組を試験的に行っています。例えば、小田原総合ビジネス高校では経済・金融関係のことについて、相模原高校では社会参加・政治意識の高揚を目指して模擬投票などを行っています。このような取組は大変重要であり、今後も拡大させていくべきであると思います。
神奈川県の取組
http://www.pref.kanagawa.jp/osirase/kokokyoiku/kenritu/citizenship/index.html
しかし、部分的な形だけでは十分ではありません。また、全ての人が高等教育を受けるわけではないので時期が遅いとも言えます。従って、体系的な社会教育を小学校から中学校にかけて段階的に行っていくようにする必要があると考えます。
【参考文献】
「あなた自身の社会~スェーデンの中学校教科書」