
3月24日付の新聞各紙で報道されましたが、県進会神奈川県議会議員団は同日付を持って解散しました。所属議員5名は全員一人会派となりました。神奈川県政史上、会派の解散は何度もありましたが、その所属議員が全て一人会派となることは初めてのようです。
民進党籍を持っている議員(旧維新の党系の3名)と無所属(私も含めて2名)の混合会派であったので、いずれかの時期に違う道を進むことは想定されていたのですが、会派解散の過程や理由が残念であり、狐につままれたような感じです。
会派の解散は、今後の議会活動に関わる重要なことである上、新聞報道もされ実際の経緯や理由についての質問もありますので、速やかにご説明しなければならないとご助言を頂きました。ただ、多少経緯が複雑で私だけで説明しきれることではないので、「事実をベースにして」、私の説明できる範囲の部分について記述します。
1.会派を解散した理由
さて、会派を解散した表向きの主な理由は報道にあるように「条例改正案の賛否が分かれたこと」です。その条例案とは主に以下の4つです。
・知事及び副知事の給与等に関する条例等の一部を改正する条例
・県議会議員の議員報酬、費用弁償及び期末手当に関する条例の一部を改正する条例
・職員の給与に関する条例等の一部を改正する条例
・学校職員の給与等に関する条例等の一部を改正する条例
簡単に説明するとこれらの条例は、県議会議員、知事・副知事などの特別職及び職員や教職員の「期末手当や給与を引き上げる」ことを内容とした改正条例です。
2.解散を理解する上での前提条件
まずは解散に至る経緯を理解する上で重要な会派の設立の流れをご覧ください。
2015年の改選期、県議会内会派「県進会神奈川県議会議員団」の前身である「維新の党・無所属神奈川県議会議員団」が維新の党所属の議員5名と無所属の議員(菅原)1名の計6名で結成されました。
維新の党の所属議員の訴えてきた一丁目一番地の公約は「身を切る改革」であり、議員報酬だけでなく職員給与の大胆な削減を主張していました(ちなみに私はそのような公約はしていない)。
したがって、昨年(2016年)2月に今回と同じ報酬や給与の引き上げの改正条例が上程されましたが、会派として全てに反対しました。なお、私が反対した理由は「身を切る改革」だからではなく県財政の厳しさによるものであり、この点は昨年のブログにおいて説明させて頂いています。
参考:「反対するのも議員の役割」
その後、維新の党と民主党との合流に伴い、1名の議員が円満に離団し、2016年5月より、現在の県進会として5名で会派は再スタートを切りました。
以上の経緯からは、今回の同内容の条例改正案に反対することこそが、私たちの会派の存在意義であったことやその実績もあったことがご理解頂けると思います。
3.団長からの突然の賛成の提案
私が会派の解散を「狐につままれたような感じ」と表現したのは、前述の会派の成り立ちと実績からして、これらの4つの議案で採決が割れることは想定外だったからです。
2017年2月より第1回定例会が開催され、知事が本会議場で認めるほど県財政が厳しいにも関わらず、昨年同様に諸々の報酬・給与の引き上げにかかる条例改正案が提案されました。
私は政調会長として、反対の方向で会派事務を進めていたのですが、ここで想定外のことが起きました。団長である赤野たかしさんが全ての条例案に賛成したいと提起したのです。これはかなり想定外でした。
もちろん、私たちの会派はオープンなので、団員全員に自由な発言権がありますし、全員が納得するまで議論もします。最終的に意見が別れれば多数決で採決をとり、会派の意思決定を行うこともあります。したがって、赤野さんの提起自体には問題はありません。
ただ、私が赤野さんの提起が想定外であったと感じた理由は、彼はみんなの党時代から自他共に認めるほど「身を切る改革」を最も訴えてきた議員であったからです(今議会の代表質問でもそのような内容を訴えていました)。赤野さんをご存知の方々であれば、誰もが卒倒するくらい驚く路線変更です(私も6年近く、親しくお付き合いさせて頂いてきましたが、誰よりも言ったことを守る人だと理解していました)。
その後は、3月22日付の神奈川新聞の報道にもあったように、赤野さんが会派の意思決定とは異なる採決態度を総務政策常任委員会で表明してしまうなど会派として対外的にも統一した意思を表明することが困難になり、議事運営に混乱が生じ、結果的に報道にあるような今回の解散劇となりました。
以上が、多少はしょる形になりましたが、今までの会派行動や新聞報道も加えた「事実ベース」のご説明です。
なお、今回の解散の説明をするにあたり、赤野たかし議員の名前を出しましが、これは彼の態度変更が今回の解散劇における重要な要素であったためであり、解散の責任が彼のみにあると言っているわけではないことは誤解がないようにお願いします(私自身は彼に対して他意もありませんし、友人です)。解散の責任は所属する5名の議員に等しくあると私は考えています。
ただ、3月24日付の読売新聞の報道に赤野さんは「採決が分かれてしまった以上、会派として成立しないと判断した」と解散理由を説明していますが、その遠因を作ったご自分の「態度変更」の理由だけはしっかりと説明して欲しいと思います。この点の説明なくして、解散劇の全容は明らかになりませんし、私には説明できない内容だからです。
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さて、会派は解散しましたが、私の活動内容や考えが変わるわけではありません。会派名は原点の「大志会」になりました。実は一人会派になったからこそできることも色々あります。自分の与えられた条件の中で進んでまいります。
千里の道も一歩から
菅原直敏
追記:会派解散となりましたが、2年間他の団員のみなさんにはお世話になりました。この会派に所属していたお陰で、4年間一人会派であったならば得られない発言の機会を頂き、活躍の場を広げ、様々な政策提言を実現することができました。非常に風通しのよい会派だっただけに、解散は残念です。
改めて、他の団員、会派担当職員を含めた多くの皆様に感謝申し上げます。