過疎の村が議会を廃止しして、直接民主制を選択するという新聞記事を見ました。
論調は総じてネガティヴ。舞台は高知県大川村ですが、高齢化が進み、議員のなり手もおらず、議会の維持が難しくなったことが、直接民主制を選択する理由とのこと。
実は、地方自治法94条では「議会を置かず、選挙権を有する者の総会を設けることができる」と定められており、総会による直接民主制は法律で保障された制度です。
しかし、記事の中での和田村長のコメントでは、「(総会設置は)最悪の事態」と消極的。
日本には二元代表制と言われる形の首長・議会型の地方議会がほぼ全てであり、過去事例がほとんどない総会について消極的になるのは理解できますが、日本の常識の枠を飛び越えてもう少し俯瞰してみてみる必要もあると私は考えます。
ここで少し考えてみたいのは、戦前に日本が地方自治の制度を参考にした欧州や戦後にそうした米国においても、地方議会が国の法律で細部まで規定され、実質的に首長・議会型の地方議会のみしか認めていない事例は例外的であるということです。
米国では連邦政府が、日本の地方自治法にあたるような地方議会の細部を決めた法律はありません。また、基礎自治体のあり方についてはむしろ州法で定められていますが、議会の形式も含めて広範な地方議会のあり方を認めており、その中には直接民主的な形も存在し、選択されています。議会のない自治体も珍しくありません。
英国でも、地方議会のあり方を住民が決められる仕組みを導入しています。ドイツも州によって内容はまちまちですが、様々な議会のあり方を認めています。もちろん、議会のない自治体もあります。
このように考えると、日本だけが首長と議会の二元代表制という幻影に囚われすぎて、地方自治の本質を考える機会を逸しています。ただ、止むを得ない構造もあります。
ここで日本国憲法について考えたいと思います。
憲法93条において以下のように規定されています。
1項「地方公共団体には、法律の定めるところにより、その議事機関として議会を設置する。」
2項「地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。」
このように地方議会のあり方を憲法で固定してしまっている国は欧米の主要国の中では、私の知る限り日本だけです。このこと自体が比較憲法的にも例外的です。米国の強い影響下でできた憲法であるにもかかわらず、地方自治の多様性を認める内容にならなかった点が歴史憲法学的には興味深いところです。
私はこの規定を改正し、地方議会(最終的には地方自治)のあり方について、より多様性を持たせるべきであると考えています。
その意味で私は改憲派です。
憲法改正というと、イデオロギー色の強い政治勢力が「9条の是非」に論点を誘導しがちですが、私は民主主義の根幹である93条の議論も優るとも劣らずに重要であると考えています。
一番身近な地域における民主主義こそが、国の基盤でもあるからです。
したがって、「法律・制度がこうなっているから、こういう議会にすべき」という視点ではなく、「地方自治を住民が運営していくために適切なやり方だから、議会のあり方はこうあるべき」という視点で日本の地方議会制度は組み直す必要があると私は考えます。
最近は、介護・福祉の発信が多いですが、地方自治のあり方は私のライフワークの一つです。
みなさんも憲法記念日のこの日に考えてみませんか、地方議会のこと。
