
まず、平塚盲学校を訪問し、校長を含む先生方とともに、意見交換をしながら、校内を視察しました。
次に、平塚ろう学校を訪問し、校長を含む先生方と意見交換をした後、校内を視察しました。
1.平塚盲学校
神奈川県立平塚盲学校の沿革は、明治43年に私立中郡盲人学校として開校したことに遡ります。昭和8年に神奈川県立盲啞学校と改称し、昭和23年に神奈川県立平塚盲学校と現在の形になりました。
幼稚部から高等部までの設置過程があり、62名の生徒が在籍しています。職業課程では三療士またはあはき業と呼ばれるあん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師の受験資格を取得することができます。
また、県内の盲教育のセンター的機能も担っており、教育相談、研修機能、理解・啓発機能があります。
近年の傾向としては、生徒数の減少が挙げられます。昭和45年に122名だった生徒数は、平成28年には55名にまで落ち込んでいます。この背景には、少子化というマクロ的な傾向や、医療技術の進歩といったミクロ的な変化も複合的にあります。生徒数の減少によって、盲教育にかかわる先生も減少するようになり、盲教育の継続性が課題とされています。
現在の校舎は建造されてから49年。自分の通っていた県立高校にも似た昭和のレトロな雰囲気を醸し出していました。

平塚盲学校のHP
http://www.hiratsuka-sb.pen-kanagawa.ed.jp
2.平塚ろう学校
神奈川県立平塚ろう学校の沿革は、大正14年に私立中郡盲学校内に私立中郡ろう学校が設立されたことに遡ります。昭和23年に盲ろう学校の義務制が実施され、神奈川県立盲学校と分離して、神奈川県立平塚ろう学校と改称されました。
幼稚部から高等部までの設置過程があり、118名の生徒が在籍しています。その内、重複障害をもつ生徒は30名です。職業課程として、理美容のコースなどがあります。
近年の傾向として、ろう学校でも生徒数の減少があるそうです。少子化もありますが、人工内耳の発達も影響しているとのことでした。一方で、人工内耳は自分の耳と合わない場合もあり、タイミングが難しいとのことでした。また、手話と口話の扱いについても、ろう者になった時期や難聴の度合いそして家庭との意向などもあり、歴史的な課題があるとのことでした。
現在の校舎は平成に入ってから造られたものであり、盲学校と比較して現代的で綺麗な建物でした。

平塚ろう学校HP
http://www.hiratsukarou-sd.pen-kanagawa.ed.jp
3.盲ろう教育施設を視察して感じた課題と展望
午前中の横浜訓盲学院、午後の盲ろう学校の視察を通じて、盲ろう教育でいくつかの課題も感じました。
まずは職業選択の課題です。盲学校であればあはき業、ろう学校であれば理美容を中心に職業過程が組まれていますが、もう少し選択の幅を広げた教育ができないものだろうかと感じました。特にあはき業については、あはき問題として日本盲人会連合が問題提起をしていますが、その根底には視覚障害を有する方の職業選択の狭さもあると考えます。
次は、テクノロジー活用の課題です。盲ろう者の生活の困難は技術革新によって緩和できる部分も多くありますが、盲ろう教育への不理解や市場規模の小ささも手伝って、革新的な技術開発が一般的な分野に比べて遅い印象を受けました。例えば、盲学校では弱視の方のために文字を大きくした拡大版の教科書を用いていますが、タブレッドPCを活用した電子教科書を用いれば、より柔軟に対応できます(制度的な障壁もある)。

写真:字の大きな拡大版の教科書
いずれの課題も素人的な受け止めと、盲ろう教育に関わって来た人には感じられるかもしれませんが、盲ろう教育の外にいる人材やアイデアもどんどん活用して行くと、明るい展望が開けるのではないかと思いました。
盲学校、ろう学校の関係者のみなさま、また本庁から起こし頂いた教育局の職員のみなさまに感謝を申し上げます。
大 和市内訪問施設・活動:15件
神奈川県内訪問施設・活動:20件
神奈川県外訪問施設・活動:25件
日本国外の訪問施設・活動:2件
千里の道も一歩から
神奈川県議会議員
菅原直敏