以下は、「カエル通信~菅原直敏の議会報告メールマガジン」からの抜粋です。
●夏の風物詩と問題点
夏の風物詩と言えば、盆踊り、花火と海水浴でしょう。しかし、ここ数年はそれにもう一つ新しい風物詩が加わりました。「首相交代」です。
2006年9月に小泉純一郎総理が退任して以来、ほぼ一年交替で首相が替わっています。今回総理大臣が交代すれば6年間で6人もの首相が出現したことになります。大変残念な話ですが、恒例行事化してしまったといっても過言ではありません。
もちろん、このような現状が好ましくないことは言うまでもありませんし、識者も様々な弊害について触れています。私が最も問題であると考えていることの一つは、
・何をしたいのかが定まっていない人が首相になること
または
・民意を受けていないことを声高に主張して首相がなる人がいること
です。
●米国大統領選挙
米国の大統領選挙は来年の秋にあります。しかし、現職に対抗馬をぶつける共和党は、党内において予備選挙を行うために、候補者同士が討論会を行っています。この過程を経ながら、本選挙に臨む候補者が決まります。
そして、今度は大統領選挙の候補者同士が討論会で政策や理念をぶつけ合い、その違いや問題点を国民に知らしめていくことで、有権者に判断の材料を与えます。
このような過程を見るにつけ、日本のトップの選び方と対照的であると感じます。また、私は米国のような形の方が、機能的かつ魅力的に感じます。隣の芝は青く見えているだけでしょうか?
●日本の首相選びと負のスパイラル
議院内閣制を採る我が国では、首相を国民が直接選ぶことができないため、様々な歪んだ力が首相選びに及ぶことになります。党内の多数派を握る長老議員が、奇妙な影響力を及ぼすのはその好例でしょう。
また、理念や政策を公にし、討論を重ねていくというシステムがほとんど存在しないため、理念や政策のない人や後付けの政策でその場をしのぐ人が首相になることも少なくありません。
大臣選びは、論功行賞的になり、所管省庁のことをほとんど解さない議員が大臣になることも珍しくありません。こうなると、官僚がついてくるはずもなく、また大臣も官僚の操り人形になります。
こうなってくると、国民の為になる国政運営をできなくなり、結果的に内閣の支持率が下がり、無責任な閣僚は職を辞し、また支持率が下がり、選挙を気にする「身内」の議員から倒閣運動が始まり、気づいたら何事もなかったように首相が交代しています。
●首相公選制
首相公選制を導入すべきだという声が声高に上がっています。私も同制度は大いに検討する余地があるのではないかと考えています。
しかし、そこには大きな障壁があります。その制度変更をするのも国会議員自身であると言うことです。自分たちの保身を優先する国会議員が多数を占める現状においては、国民の為の制度改革の議論は期待すべくもありません。
身を賭しても国のために働こうとする気概のある国会議員が少ないのが最大の国難であると私は日々感じています。